川棚川に沿って県道262号線を小野地区方面に進むと岩谷口のバス停があり、
これより岩谷集落を通って山の上の八丈岩まで約4キロあります。
5年前 豊浦地区を 散策していてこの 八丈 岩 を知り、 2度単独で 山に入りましたが
道らしき道もなく 分からないまま下山しました が、 3年前にガイド仲間と行くことが
できました。
中腹くらいのところに大きな岩がゴロゴロしていて そこまで進むと奥の方に 目指す
巨大な岩「八丈岩」 が 現れました 。
岩の上は 平で 幅24 m くらい で 下の方には空洞があり、 ここに室町時代の 守護大名
第31代大内義隆 が天文20年 (1551年) 家臣の 陶 晴 賢 の謀反により 逃亡中、
身を隠していた と伝えられる 場所です 。
岩屋の村人は 食べ物を運んだりして 温かく匿って くれましたが 陶 の 追手が身近に
迫ってきた為 お世話になった村人に大内家に伝わる 楽踊り 所作 を 教え、 秘伝の巻物
一巻を贈って去っていったそうです 。
弘治元年(1555) 大旱魃の とき、 岩谷河内 社に 雨乞いのバンバラ踊りを奉納したところ 大雨になり、 人々 、田、畑の 作物も救われたことで 村人は 吉田義隆公 の供養として
十三仏 の 木造を作って 八丈岩に置かれましたが、大雨で流出したため 石仏を作って
安置して 長らく 八丈岩にありましたが、 昭和26年に麓に 移設されています 。
(八畳岩までは 案内がないといけません)
2年前 山口ザビエル記念聖堂の信者でガイドを務める グループが義隆の 足跡をたどりたいと八丈岩の 案内の依頼があり ましたが、私は 平日だったので 同行出来ませんでした。 でも仲間が案内して 平成30年 6月19日付の朝日新聞に 大変喜ばれた記事が載って
いました。
「フランシスコザビエルが 日本に来たのは 1549年布教しようと京都に上がったが 果たせず1551年 山内 大内義隆により 許可を得る」
次回の更新は3月15日(火)です。お楽しみに!