彼はこう答えました。
「お役所なんていい加減でさぁ。ほら消えた年金とか騒がれていたでしょ、年号が代わったりして仕事が間に合わないんじゃない?書き換えとか大変でしょ。」
簡単にそう言うのです。
年金については社会的関心をあれほど集めているなかで、事務処理がそんないい加減であるはずがない。
支給予定日が15日なのに今日はもう13日。
通知書さえ来ない
やはりなにかの齟齬があったのではないか、そう言う切羽詰まった感覚とかけ離れた彼の言葉が私の心を逆撫でしました。
またその時の彼の話ぶりが、子供を諭すような上から目線の話ぶりだったこと、 これが私の怒りに輪をかけてしまったのです。
「まぁ、そう言うことかね」
怒りを抑えて話を切るのが精一杯でした。
君とはもう話をしたくない、そう思いました。 14日早朝、堪りかねて私は必要書類を手に社会保険事務所に出かけ、確認してもらいました。
結果、事務処理は正常に済んでいたことがわかりました。
「こんなこと、ごくたまにあるんですよ。すいません。」
契約職員風の担当者は安堵した私の顔をみてホッとした様子でした。
帰宅すると決定通知書までポストに入っていました。
あの短いやり取りで生まれた二人の亀裂は、沈黙という形になって一週間ほど続きました。
あれ程楽しくやっていたのに、何であんなふうになったんだろう?
虫の居所が悪かったのか。
普段、冷静な自分がなぜカッとなったのか。 いろいろ考えました。
色々考えた末、一つ思い当たる原因に行き着きました。
彼は大学卒業後、大手の某楽器会社で営業職につき、定年を待たずして58で退職しております。
楽器を売るには楽器について一通りの知識が必要で、かつ幼稚園などの演奏会には園児のレヴェルに合わせて編曲まで請け負っていたといいます。
退社した今でも、馴染みの施設で演奏のインストラクターを請け負ってなにがしかのバイト料貰っているとのことでした。
つまり、40年近く幼い園児を相手にしてきたわけです。
あの物言いは、彼の長年の生業による癖なのかもしれない。
幼い者にとって彼は全能の教師でなくてはならない。
そりゃ知らんよ。わかりません。
とは言いにくい立場に長年立ってきたのだ。
そう考えると、あの時の状況も理解出来るような気がしてきました。
おそらく、そうなんだろうと思い続けるうち怒りの炎も弱々しいともしびとなり、 いつのまにか消え去っていました。
あの遣り取りから二週間ほど経ったある日、私の方から何気ない電話をしました。
まるで何事もなかったように。
すれ違って熱くなったらそっと置く。
そして時を待つ。
解決が難しくシコリになることもあるけど、落ち着いて考えれば流れて消えてしまうこともあるのだと65の私は思った次第です。
追記 書き尽くせないものもありますが、冗長になるとボロも出ますのでこの辺で括ります。
※前回の記事に「社会保険庁」との表記がありましたが正しくは日本年金機構です。
次回の更新は7月26日(金)です。お楽しみに!