維新150年

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今回から豊浦町の史跡を語ろうと思いましたが明治150年ということで県内いろいろ

イベントが開催されていますので幕末維新にふれてみます。

今年の2月、私の知人である山田氏は先祖の坂本伊三郎(川棚村報国隊士)の墓を

川棚下村から吉田町の高杉晋作の墓のある東行庵(顕彰墓地)へ改葬されました。

この報国隊というのは高杉晋作の奇兵隊に刺激されて長府藩の藩士熊野直介、福原

和勝など20人が豊巧(とよこと)神社で盟約を結び、これを聞いた共鳴者が86人に

もなりました。

慶応元年(1865年)1月報国隊組織上申書を作り藩主に提出。

同年2月14日に報国隊の設立が許可されます。

そして幕府と長州の戦い小倉口では、高杉晋作指揮のもと勝っています。その後、

北越の戦いでは長州軍の主力として405人の隊士が出陣しています。

幕末の戦役に従軍した諸隊のもう一つ豊北町阿川にあった阿川毛利藩では興義隊

(16才〜54才までの88名)が慶応元年(1865年)7月に結成され、翌、慶応2年奇兵

隊と共に小倉の戦いに参加し、そして、四境の戦いにも出陣しています。

阿川八幡宮には戦勝祈願で奉納された髻(もとどり)を祀った興義隊士髻塚(もと

どりづか)があります。
 

長府豊巧(とよとこ)神社には長府藩報国隊顕彰碑があります。
 
8月25日(土)川棚の杜コルトーホールにて下関市立東行記念館学芸員松岡美帆氏が

報国隊のことなど語ってくれます。PM1時30分〜3時までです。

興味のある方は無料ですのでどうぞ。

次回の更新は8月21日(火)です。お楽しみに!