国民歳の違い

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十数年前のことです。
私は外国車を購入し愛用していました。
ある日のこと、燃料メーターがゼロに近づき給油のサインが付きました。
朝の出勤が遅れ、スタンドに寄る余裕がなく仕方なく車を走らせておりました。
燃料メーターはいよいよゼロになるや、車の動きが弱々しくなりとうとう止まってしまったのです。
よりによって、バス停の5メートルほど前に。
朝のラッシュのイメージを想像して下さい。
二車線の国道は大混雑。
ハザードランプを付け、携帯で保険会社に電話するも、顰蹙の眼差しが矢のように飛んでくるのをジッと耐えて待つしかありませんでした。
電話が終わっても、電話をしているような格好をして、視線を背中でうけました。
とても顔向けできなかったのです。
ようやく給油車が来て、その場を去ることができました。
要するに、私は国産車と同じようにメーターがたとえゼロになっても多少の余裕があるはずだと、勝手に思い込んでいたのです。
それは勝手な思い込みでした。
日本人は律儀なわりに曖昧なところもあります。
その車の生産国は厳正な正確さを重んじるのです。

ゼロはゼロ。

100は100。

ないものはない。

あるものはある。

曖昧さは不誠実なのです。
これが国民性というものです。
国民性の違いは確かに存在します。
国家間の外交は難しい。

次回の更新は11月19日(火)です。お楽しみに!