1日の日曜日は大阪マラソンでした。
雲一つない快晴の元、3万人のランナーが大阪城公園に集結。
今回からスタートもゴールも大阪城公園に変更となり、否が応でも盛り上がります。
ですが、11月3日の下関海響マラソンで痛めた股関節と膝が思わしくなく、
リタイア覚悟の参加でした。
スタート前、整列していると
「山中先生ですか?」と院長が声をかけられました。
この大会はips細胞研究所の山中先生が走られるので有名なんです。
そして、実は院長は山中先生に似ているんです。
この方、山中先生の大学時代の先輩だそうで「いやあ。本当にそっくりだなあ。背丈も
後ろ姿も。。。びっくりしたなあーー!」と。
走っている最中にも「あのー、ipsの先生ですか?」と何度もこえをかけられ、
「いいえ、本物はもっと速いです」と大笑いしながら走りました。
ですが、元気だったのはここまで。
10キロ過ぎたころから股関節がきしみ始めました。
15キロではほとんど走れず、早歩きになっていました。
でもまだ足は動いていたんです。
制限時間は7時間。
こういうことも想定して練習してきました。
何が何でもゴールするぞという意気込みでした。
しかしです。
痛みは増すばかり。
とうとう、膝が激痛で動かなくなり、倒れ込んでしまいました。
もはやこれまでかと思いましたが、ここから私は本当の大阪マラソンの底力を垣間見ることになります。
車いすを待つ間、何人ものドクターが声をかけてくださいました。
そして、車いすで救護所へ行く間も、スタッフの方がずっと声掛けしてくださり、
ともすれば泣きそうになる私を支えてくれました。
救護所のベッドでアイシングしている間、もしかしたら戻れるかもしれないと
かすかな望みを持っていましたが、ずり落ちた膝の氷嚢を戻すことすらできない今の
自分をみて、初めてリタイアだと思いました。
ランニングウオッチはまだ動いており、震える手でストップを押しました。
25.92キロ
スタートしてから救護室に運ばれるまで4時間1分20秒が経過していました。
初めてのリタイアでした。
それから、回収車に乗り、会場まで戻ることになるのですが、バスに乗ることも
ままならず、3人がかりで抱えてくださいました。
本当にスタッフの方々の温かいお気持ちと励ましで、冷え切っていた心がじんわりと
ほぐれていくようでした。
今回、各50名の医師と看護師、30名の救急救命士が走りながら、こうしてランナーの救護に当たっているということでしたが、全然足りないそうです。
私を助けてくださった先生も、私が車いすに乗ったことを確認したら、すぐに次の
ランナーの救護に向かわれていました。
ありがとう大阪!
いつか近い将来必ず同じスタートラインに立ちます。
ありがとう大阪!
そして今度こそは両手を上げてゴールします。
ありがとう大阪!
それこそが今回私を救ってくださったスタッフの方々への恩返しです。
温かい気持ちをたくさんたくさんいただきました!
ありがとう!ありがとう!
ありがとう大阪!
次回の更新は12月6日(金)です。お楽しみに!