ペトログラフの遺跡

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3ヶ月ぐらい前に、ペトログラフの遺跡のコピー紙をもらったけれど、
紀元前(BC)のものなので、疑わしきもあり興味が薄かったのですが、十数年前、古本屋で買った本と関連があったのでちょっと考古学‥

ペトログラフとは、ギリシャ語でペトロは岩、石、グラフは文様文字を意味します。
岩や石に何かを描いたものや、石や岩に目印したもの、石を積み上げたもの等
これは古代四大文明(エジプト、メソポタミア、インダス、黄河)よりも古く紀元前5000年からの歴史をもつ海洋民族シュメール人が残して行った遺跡といわれるのですが‥‥?
このシュメール文化が世の中に明らかになったのはまだ85年ぐらい前です。
シュメール人は北部インド地方からメソポタミア南部(イラクのチグリスとユーフラテスのあいだに)に移住して定着し栄えますが、紀元前2004年ウル第3王朝の最後の王
イビシンの時、エラム人(東方ザグロス山脈の地)とアムル人(北西の砂漠の地)に
襲撃されて滅亡するのですが、数名の王一族と従者はかろうじて船でメソポタミアを脱出し、南インド、東南アジアを経由して数千年かけて各地を転々としながら根拠地を作り、目印を残して行ったのがこのペトログラフといわれるものです。
これが日本各地に残されています。
近郊では角島(豊北町)の尼宮遺跡、浜詰の丘遺跡、夢崎明神遺跡、彦島江の浦町の杉田岩刻図があります。

興味があれば行ってみて下さい。

次回の更新は6月7日(金)です。お楽しみに!